アフームの利香です。
褒められるのが未だに苦手です。
照れ臭いとかそういうことではなく、居心地が悪く、悪い予感がしてくるのです。
なぜだろう?いったいこれはなんだろう?と探ってみました。
ー私が褒められると悲しむ人がいる
私が子どもの頃は、今のようにアニメや漫画やゲームなどが溢れているような時代ではありませんでした。「テレビは1日30分まで!」とかいわれて、昭和の子は時間はたっぷりあったし、我が家はサラリーマン家庭だったので家業の手伝いもなく、周囲の大人は私がなにかをやりたがるとおもしろがってやらせてくれていました。
私はいったん「これが好きだ!おもしろい!」と集中すると、パワフルに技術や知識を習得するので、はたからみていると「いきなり上達した」ように見えたようです。
すごいね、と褒めてもらうことはしばしばありました。
コツコツやっている子や、そのひとつにだけ打ち込んでいる子からしたら
得意なことで得ていた賞賛やプライドを
ポッと出の奴にいきなり傷つけられるように感じられたのでしょう。
「あんたはいいよね。なんでもできて」
「なんでもできるあんたをみていると悲しくなる」
そう言って落ち込む様を見せられることもありました。
私からしたら、好きで夢中でやっていたことが友達を悲しませることになるという、衝撃的な展開です。
悲しむ友達は悪くない。自分のことも悪いとは思いたくない。
そうなると、悪者は友達の面前で私を褒めた人、ということになるわけです。
「○○ちゃんの前であんな風にいわなきゃいいのに!」
完全に八つ当たりです。
誰も悪くはなく、ただ受け止めきれなかったということです。
ー妬まれ、嫌われるという体験
相手がいっときへこむだけの場合はまだよくて、そのまま妬まれたり嫌われたり、揶揄されたりすることもありました。
そうなると小学生や中学生の幼い自我は動揺するわけです。
自分が得意なこと、うまく出来るようになったことを、本来だったら楽しんだり誇ったりしていいはずなんですが、「うわ、やべぇなんかあいつこっち睨んでるし」みたいに萎縮してしまいます。
「いや自分なんて大したことありません」ということを、褒められた時には大げさなまでに見せねばならないような気がしてくるわけです。
いわば、敵認定されないためのデモンストレーション。
これは「妬みから攻撃してくる奴がくだらんのだ」と思って過剰に反応しなければいいだけのことです。妬みたくなる気持ちは理解できる。でも、妬みや反感を攻撃という形にして出すかどうかは、別のレベルの問題なんですよね。
今ならこれは「ふーん。そうか〜」とスルーできそう。
ーどう反応したらいいんだろう?
褒めてもらったとき、「ありがとうございます(にこにこ)」以上にその場でどう反応したらいいのでしょう?
お礼を言って受けとったものの、その後の話題をなんとかもりあげなくてはならないような気持になるのは、やはり「悲しませたくない」「敵認定されたくない」が水面下でじたばたしているからです。
以前、なにかを褒めてもらった時にそれがいかに楽しいモノなのかを話したところ、「そんなこと話されてもちっとも理解できない」とピシャリと言われたことがありました。
「楽しいよ〜ってお前は言うけど、できない奴には何が楽しいんだか一個もわからない」「出来る奴のレベルの楽しみを押し付けるな」
おおう…( ;´Д`)
えらいすんません。。。
それ以降、褒められたらお礼を言うだけにしておいて、ボールは向こうにあるのだと思うようにしています。
相手がそれをきっかけにあれこれ話してくるようであれば応じる。
自分からは語らない。
そんなことを学ぶ四十路。
学びは続きます。
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