わたしのこと

BBAの語に対する違和感をほりさげてみたら、強い信条に気づいた

 違和感の正体を言語化して明確にするという作業を最近している。ネガティブな感情の根っこを掘り下げてゆくと、しばしば謎ルールや不要な思い込みに気づき、手放すきっかけにもなる。違和感の元が謎ルールや思い込みではない時は、自分の信条の重要な柱を発見することもある。

 SNSをやっていると、BBAという単語をよく目にする。いうまでもなくこれは「ババア」の意で、ネットのみならずオフラインの会話でも使われている。最初から違和感しか感じないので、わたしはこれを使わぬよう努めてきた。この違和感を言語化できずにいたのが、つい先日やっとわかった。

 この言葉が下品だということは無論、ここに詰め込まれているあらゆる差別が嫌いなのだった。

 「婆」は「ば」「ばば」と発音する場合には老女という意味のニュートラルな単語だ。(cf. 奪衣婆(だつえば)、遣り手婆(やりてばば))「ばばあ」と発音するのは罵り言葉や、高位の者を前にしたときに用いられる極端にへりくだった自称の場合のみ。だから現代でも罵りたいとき、バカにしたいとき、自虐や開き直りを表現したいときに用いられるスラングとなっている。

 BBAは「女は若くて美しいのがいちばん」という、性差別のみならず見た目至上主義によるlookismと若さ至上主義の年齢差別:ageismを突っ込んだ言葉だ。


 人は誰しも老いてゆき、やがては死ぬ。回避策はない。老いて身体機能が衰え、シミやシワが増え、集中力や根気、柔軟性、記憶力まで弱ってゆくのは確かに厄介だと思う。できるだけ健康でいたいし、自由に動ける体、回転の早い頭、きれいな肌でいたいとわたしとて願っている。
 が、他人に対して寛容になったり、短慮を起こしかけてもまぁいいかとこだわらずにいられたりする面もある。そして知識と経験の蓄積が世界をみる目をいつの間にか豊かなものに変えていることが、なんといってもありがたい。おそらくこれを成熟と呼ぶのだろう。成熟や経験値、知恵といった、老いと引き換えに得られる恩恵はいくつもある。

 老害にならないようにと自らを戒める気持ちは大切だが、年齢だけを理由に自ら卑下したり、他人を貶めたりする必要は果たしてあるだろうか。

 BBAを多用するのは、自虐であれなんであれ、老いを嗤い若さにしがみつく浅はかな思想に加担すること。だから使いたくない。

 言葉遣いやボキャブラリーには、話者の価値観が色濃く表れる。それがパートナーや親きょうだい、上司、同僚、コンサル、コーチといった自分にとって重要な存在だったらどうだろう?「女の子なんだから」や「男のくせに」といった言葉を例に考えたら、日々の生活の中で無批判に遣われる言葉の毒に侵されてゆくのは明らかである。違和感を感じながらもそれを受け入れていると、後々、生きづらさの問題となって噴出してくる。

 そういう言葉の執拗な呪縛の手強さを知っていればこそ、わたしは誰にもそういう呪いをかけたくないと強く願うのだ。言葉に対して無自覚、無批判、無造作でありたくない。それは、自分をとりまく世界を薄汚くて窮屈なものにしてしまうから。

 

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