わたしのこと

真面目な人にこそメタ認知が重要な理由 別な視点を取り入れる意義とは

認定ロルファー™の利香です。

うつ病・うつ傾向にある人特有の言葉遣いがあるようだという記事を読みました。(記事は下の見出し行をクリックでご覧いただけます)

People with depression uses language differently

 テクノロジーの発達で、膨大な量のテキストをコンピューターで解析できるようになった結果、次のような事が明らかになったそうです。
 うつ病の人はネガティブな感情(わたし個人としてはこの表現は使いたくありませんが、記事中ではこう表現されています)を表す「さみしい」「悲しい」「惨めな」を多用し、「私」「自分自身」と一人称ばかり用いて二人称や三人称を使わない傾向がみられるそうです。また、「常に」「なにものも…ない」「完全に」といった絶対主義的(白か黒かでものごとをみる価値観を表す)単語も増えます。
 うつ病がそうさせるのか、それとももとからそういう傾向のある人がうつ病になりやすいのか、どちらが先かという問題は残ります。
 が、うつ病から回復した人たちの集うフォーラムでは、対照フォーラム(比較調査のために選ばれたフォーラム)に比べて否定的な感情を表す語は同じぐらいのレベルに下がるものの、絶対主義的な単語の使用頻度は高いままだそうです。そのレベルは不安・希死念慮フォーラムよりちょっとましな程度に止まると記事にはあります。

 

自分の中に籠ってしまう病

 この記事でわたしがもっとも気になったのは、うつ病の人は一人称を多用するようになり、二人称のshe、三人称のthey やthemをほとんど使わなくなるということでした。これは明らかに他人との関係性の断絶を表しています。他人との会話や関わりの中で第三者的な視点を得る機会が減り、自分を凝視し続け、思考が自分の中だけでぐるぐると回っている状態だと言ってもいいでしょう。

 わたしもうつ病一歩手前になったことがあります。もう10年以上前のことですが、専門職を辞めて大阪へ越し、他人しかいない土地で前夫との生活が始まった時のことです。
 専門職を辞め専業主婦になったこと、血縁地縁なにもない土地で前夫とたったふたりきりで暮らすことはボディブローのようにじわじわとわたしの心を蝕んでゆき、気がついたらうつ症状(うつ病の手前の段階)になっていました。朝起きてから夜寝るまで、なーーーーんもする気が起きない。和室の畳に落ちる陽の影をゆっくり目で追って、ぼんやりと1日をやり過ごす。専業主婦になったらあれもこれも思う存分時間をかけてやるぞー!と思っていたことは色あせ、どれにも興味も喜びも感じない。とにかくつらい。しんどい。生きていたくない。なにも楽しくない。嬉しくもない。
 そういう時に、前夫がでかけた部屋でひとり考えるのは「なんでわたしはこうなったんだろう」「どうしてわたしはこんなこともできないんだろう」という無力な問いかけばかりでした。外界への興味が失われ、自らの内面しか見えなくなってしまっていたのだろうと思います。

 

メタ認知の重要性 

外部とのつながりが少ない場合は、外部の人が自分に向けるような、別の視点に触れる機会がなくなってしまい、自分の状況を客観的に言語化するというメタ認知が働きづらくなります。このような状態は、当事者を(中略)閉鎖的な循環に閉じ込めてしまいがちになります。
 外部とのつながりが少ない状態で、「問題行動の原因は自分にある」という考え方をすることは、ある種の美徳となじみがよいものですが、これは、状況分析の範囲が狭く、実は思考放棄状態に陥りやすいものです(問題の言語化が回避されやすい)。
 佐藤友亮『身体知性 医師が見つけた身体と感情の深いつながり』(2017 朝日新聞社)

 

 佐藤氏が書いているように、メタ認知は「自分の状況を客観的に言語化する」行為であり、もう少し分かりやすく言うと「私はいまこんな状態なんだなぁ」と他人事のように見る視点を得ることでもあります。壁に向かって「なんでわたしはこうなんだ」と自問したところでなにも変わりませんが、他人と相対して対話を持つことにより、自分の状態を客観的に表現するきっかけやヒントを与えてもらえます。そこから「病んでいる感覚はどんなものか」「わたしは問題をどうとらえているのか」「なにがしんどいのか」をちょっとひいたところから見ることができます。
 わたしは「この生活では鬱屈した精神状態から脱け出せない」と考えて、思い切った職種変更の決断を下し(司書から特許法律事務へ)、何人もの人たちとの関わりの中へと戻ることでうつ症状から回復してゆきました。

 

客観的に言語化してみることの効果

 つらさや自覚している症状を他人に伝えるという前提のもとに言語化すること、それをうけた他人からフィードバックをもらうことが、精神面での課題を抱えた人の回復を助けるわけですが、これは身体にもあてはまるなと感じます。
 ロルフィング®のクライアントさんの中でも、自分の感じている不調や身体の感覚を「最近ちょっとこのあたりの人たちが自己主張を始めまして…(といいながら内転筋を触る)」「今日になっていきなり右の腰が「痛いよ〜気づいて〜」って言ってます」といった表現で語る人は、身体との付き合い方がうまいのです。痛みがひどかったりしつこかったりすると、往往にして気持ちが切羽詰まってしまいがちですが、「ありゃ。こんどはあんたがそうなっちゃったのね」と絶妙な距離を以つて捉えられる人は、セッション中の反応も早く、効果を実感なさる傾向があるようです。

 心身の痛みは相手を選んで打ち明けねばならないところがちょっと厄介ではありますが、メタ認知のための対話を持つことが回復への第一歩なのかもしれません。

 

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