わたしのこと

喜びを自分に許す

やちむんのマグカップ画像やちむんのマグカップ

久しぶりに食器を買いました。(写真はお店のサイトから引用しました。写真をクリックするとお店のインスタグラムページに飛びます)
ものを増やさないように、気に入ったものを大事に使って、同じ用途の道具は買わないようにしていますが…本来は筋金入りのうつわ好き、調理道具好きなのです。

結婚生活の解消を機にありとあらゆるものを捨てて以来、生活必需品以外のものを新たに買うことを禁じてきた面があります。

一言でいうなら、許していなかった。

ものを買い、所有して愛でること。それに伴うわくわくする楽しい感情。それらを味わう資格は自分にはないと、ストイックになることを自ら課していました。

 

私は誰のために私を罰しているんだろう?
自分を罰したらより高尚な人になれるんだろうか?
誰かを幸せにできるんだろうか?

 

いずれの質問にも満足のゆく答えは出せません。
ということは、自分を罰するなんてことはしなくていいし、ものを愛でたり買ったり所有したりする喜びを自らに許してもいいじゃないかと、ようやくすんなり納得できたのです。

こう書きだしてみると苦笑いしか出ないんですけど、「こうあらねば」「こうであるべきだ」という規範意識は意外に根深いものです。そもそも、その規範意識を支える、”信念”にも似た強い思いを、普段私たちは疑問に感じることすらないんですよね。

敢えてそれを「なんでそう思うの?そうしないと何か悪いことが起きるの?誰かに言われたことを思い込んでいるだけなんじゃないの?」等々、自分ツッコミしながらほじくることでしか思い込みの全容は見えてこないし、自分の意識は変えてゆけない。

見えていないものを変えなさいと言われても、できっこないのです。

よく自分を認めるとか受け入れるとか許すとか言いますけど、いずれもあっさりとはできません。批判的な感情、繊細で情けないほど弱い気持ち、かくあるべしと頑なに思う心もすべて完全なものとして平常心で見ることができて初めて、そういう事が出来るようになってゆくのではないかと思います。