読んだ本

なんでもググる人たちへ。朽木誠一郎著『健康を食い物にするメディアたち』

認定ロルファー™の利香です。

 気になる症状があったらとりあえずインターネットで検索するのが習慣になっていたり、健康番組や雑誌などが好きだったりする人は、『健康を食い物にするメディアたち』は必読書です。断言します。

無作為で公正な検索結果はありえない

 インターネット上に公開されている情報や、自分が日々目にする情報は「公平で正しい」と思い込んでいませんか?それらが、あなたの健康被害には一切責任を負わない企業やメディアが利益のために操作しているものだとしたら?これは陰謀論者による妄想ではありません。事実です。それに、検索結果だって「無作為」ではありえません。

 例えば、友達のスマホで「ちょっとググってみて」といって同じ検索ワードと検索エンジンを使った結果が、自分の検索結果画面とは微妙に違っていた…という経験が誰しもあるはずです。検索結果だけでなく、表示される広告などもそうです。
 これはフィルターバブルと呼ばれるもので、過去の検索履歴をもとに、検索エンジンがあなたが好みそうな検索結果を表示する機能が働いています。予め検索エンジンによってフィルタリングされた検索結果しか目に入らない事態です。公平に・広く・たくさんの情報をみてみる行為とは、かけはなれた事態になっています。もし自分が新しい事について広く情報を求めたいと思ったら、シークレットブラウズモードにするか、クッキーを検索の都度削除するかしないとなりません。
 また、検索エンジンは「どのページを検索上位に表示するか」についても独自のルールを持っていますので、わたしたちの目に触れる情報は、既に誰かが選別したものの羅列なのです。このことにユーザーとしてもっと自覚的になる必要がありますし、検索エンジンとそれが提示してくる検索結果を鵜呑みにしない慎重さが必要です。

情報の質を誰が保証するのか

 古市憲寿氏のように「昔は記憶力や知識量が重視されたけど、今は検索すればいいんだから、そんな能力は大して重要じゃない」と(文春オンライン・落合陽一×古市憲寿「平成の次」を語る #1 ※2019.2.14現在リンク切れのためリンク解除)、テクノロジーやインターネット上にある知識はハイクオリティで正しいものだという前提で思い込んでいる人もいますが、それは大きな間違いです。2019年1月現在、ネット上にある情報の質は相変わらず粗雑で質が低いものが多いし、記憶力や知識力がなければ質の良し悪しを見極めることも、信頼性・正確さ・公平さ(企業や権力者側からのバイアスがかかっていないか)というものも見極めることもできません。

 バカとハサミは使いようといいますけど、誰もがスマホを手にする時代、本来ならばインターネットを使うことなどできなかった人達ですらネットに接続し、発信することができるようになっていることの弊害を考えたことがありますか?誰でもネットにアクセスできるというのは、ある意味では民主主義的には「正しい」。でも、その結果、何が起きているかというと、誰の査読も検証も経ていない、質の低い情報が拡散され信じられるという状態が生まれています。これらの情報はセンセーショナルだったりわかりやすかったり感情に訴えたりするがゆえに、広まりやすいのです。ワクチン反対運動やいわゆる「子宮系女子」がそのいい例でしょう。

衒学的な言説をふりまわす「知識人」の危うさ

 いい機会なのでわたしの立場を明確にすると、わたしは落合陽一氏も古市氏も嫌いです。小賢しいの一言につきます。衒学的な言葉を使ってもっともらしいことを言っていますが、非常に危険な思考を持っている人だと思います。特に新年の文春オンラインでの対談の2回目など(※2019.2.14現在リンク切れのためリンク解除)、本質は、姥捨山を再現したいっていうだけの話です。
 終末医療や安楽死を語るとき、する側・させられる側のどちらに立つのかでも意見は変わるものですが、この人達は徹頭徹尾どちらの当事者にすらなろうとしないところが恐ろしい。なにその全能感に満ちた大学生が飲み会でいい気になって上から目線で話しているみたいな口調…って感じます。

死にたい奴は死ね。生きたいならお金を払え。それだけのことだと物事を単純化してみせますが、安楽死はそれほど単純な問題ではありません。安楽死の是非は介護者への同情やコストだけで語られてはいけないし、介護される側の意見を無視してはなりません。もし安楽死が社会的に普通となったら、それは容易に「そんな状態なのにまだ生きてるの?」「穀潰しを生かすのは無駄でしょ」という、個人に向けられる圧力に転じるからです。障害者や高次脳機能障害を負った人たちや難病患者、高齢者、マイノリティにむけて「生きることを遠慮しろ」という圧力が生まれない保証などどこにもないし、むしろその圧力しか生まれないでしょう。すでに同調圧力社会の弊害にうんざりしている2019年のわたしたちが、この危険性を見過ごすなんておかしな話ではありませんか。

 彼らの主張に与するというのはすなわち人でなしになることですが、この危険性を理解できない人達が一定数いるという事実にはぞっとします。いったいあなたたちはどんな教育を受け、どのように育てられ、なにをどう大切にしてきたんだ?議論のための議論や、勝つための屁理屈を鮮やかにこねくりまわせることだけを学んできたの?と、化け物をみるような気持ちになります。

インターネット時代に求められる情報精査力

 それはさておいて話を戻します。ものごとや相手の主張の本質を見たり、引用している情報の信頼性、論理の瑕疵、主張の齟齬に気がつく力がなければ、インターネット上にある情報や、わかりやすい主張や、メディアがかつぎあげるオピニオンリーダーの浅はかな議論に踊らされるだけになってしまいます。そしてそれが健康被害となり命すら脅かすような結果となってしまったとしたらどうでしょう。『健康を食い物にするメディアたち』が書かれたきっかけは、まさにここにあります。

 わたしたちはいきなり賢くなれるわけでも、専門家並みの知識と経験を得られるわけでもありません。でも、この本で詳しく説明されているように、情報の出処をドメイン(例えばgo.jpは日本の政府機関、ac.jpは高等教育機関、co.jpは民間企業)で確かめたり、記事の執筆者の記載の有無、所属、学歴や職歴といったものをチェックしたりということはできます。ど素人ががん治療について書いている記事と、専門家である医師が書いている記事とでは信頼性の高さが違いますよね。それに、医師にもいろいろあって、個人のクリニックのページは利益優先だと思って間違いありません。PV稼ぎのために際どい広告を出していることもあります。「医師監修」とだけ書いてあるのも要注意です。実際にはまったく医師が監修していないことのほうが多く、ひどい場合は名義を貸したことすら医師本人が知らされていないことも(つまり勝手にやられている)あるのだそうです。

 「1PVはひとりの命と同義です」という著者の言葉にわたしはショックを受けました。検索することが病気についての情報。本人にとっては切実で、命にも関わることだけれど、利益追求型組織や狂信的な人が発信している質の低い情報が検索結果上位に表示される状態では、問題はいち個人の無知では片付けられません。検索エンジン側が医療情報についての検索結果についての方針を改めたとはいえ、検索する側も自分が目にしている情報は汚染されているという前提で取捨選択する能力を持つほうがいいに決まっています。
 「自分だけは大丈夫」と思っている人こそ、読んでほしい一冊です。難しいインターネット用語がたくさんでてくるんじゃないの?とビビる必要はありません。なるべく平易な表現を目指して書かれた本書はさくさくと読めますので、Kindleでも中古でもいいのでとにかく買って読んでくださいね!