日々のこと

正論にこだわらないこと

立春を過ぎて、少し寒さが緩む日と猛烈に寒い日とが交互にやってくるようになりましたね。巷ではインフルエンザが猛威をふるっています。寒暖差も体にはストレスですので、せめて気持はストレスを減らしておきたいものですが…年度末、決算月間近ということもあって忙しい方もたくさんいらっしゃると思います。ストレスは背中〜腰にきます。ぎっくり腰を繰り返す方は特にご注意くださいあせる この時季、暖かいお茶を飲んだり、ストレスの原因から離れる時間を持ったりするのも立派なセルフケアです。

先日、「すべては自分がしている選択である」という事を少し書きましたが、そのことに無自覚な人ほど、周囲に対する怒りから強いストレスを感じるようです。

自分がこうなっているのはあの人が〜〜してくれないからだ!とか、あの人は〜〜であるべきなのに、そうじゃないから自分がしんどい思いをしている(怒)とかですね。こういう風に考え始めると、自分は正しいんだ!あいつが悪いんだ!という気持を頑なに持つようになってしまうのか、相手がいかに理不尽でわがままで迷惑な奴なのかをことあるごとに力説し、「苦しめられてかわいそうなわたし」をアピールするようになります。

だけど、どっちに理があるのか・非があるのかなんて、実はどうでもいいことです。そもそも白黒つけるために苦しんでいるのでしょうか?目的は「協力してプロジェクトをすすめること」だったり「効率よく仕事をすること」や「楽しい家庭生活をおくること」だったはずです。その目的達成のための最優先事項はなんでしょう?その中に「他人の思惑を気にする」ことは含まれますか?

思い通りにならない相手にいらだつうちに、自分の正しさにこだわり、相手に非を認めさせて従わせることが目的にすりかわっていることが問題なのではないでしょうか。

残念ながら、他人を変えることはできません。人は何歳からでも変われますが、それは本人が問題意識を持ち「変わりたい」と心底から望めば、の話です。思い通りにならない相手が自発的に変わるのを待っていたのでは、こっちの人生が終わっちゃうかもしれません。

それより速くて確実なのは、当初の目的にフォーカスして、自分が変わるなり方向転換をすることです。その時、「正しさ」「正論」への執着は邪魔です。負けたような気持ちになりいっときは悔しいかもしれませんが、選びとった快適さに比べたら大したものではなかったと、後でしみじみ感じるときがきます。必ずきます。

しんどい日々が続くのは、自分が正論にしがみついて他の選択肢が視野から押し出されてしまっているからかもしれない。
負けたくない気持ちにこだわりすぎてるかもしれない。
その可能性も考えてみたら、もう少し楽なやり方が見つかるはずです。
アタマも体もしなやかな方がいいのです。結局それが容易に潰されないしたたかさにつながりますから。