日々のこと

触れることの神秘

アドバンスト・ロルファー™の平田継夫さんが主催する、タッチのクオリティを高めるセミナーに参加してきました。
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 掌はとても優秀なセンサーなのに、それを潰すような使い方をしていると鈍感になるのも事実。掌の下、指の下で何が起きているのかをつぶさに感じとるためには解剖の知識はあったほうがもちろんよくて、そのうえで、触れているものを柔軟なアタマをもつて視覚化するのがわたしには大事だなと感じました。

 生身の身体という、「切り刻んだり切り開いたりしちゃダメなもの」に向かい合っていると、皮膚の下で何が起きているのか自分にはなにもわからないと思って茫然とするときもあります。まるで目印のない海原に放り出されたみたいで、なにを目印にどう動いたらよいのかもわからない状態に陥りかけます。
 実際は、なにもわからないなんてことはなく、掌が触れていれば相手の身体の体温や皮膚の質感、隆起、くぼみ、かすかな動きを感じているわけです。しかもちゃんとランドマークを知っているし、ランドマークとなり得そうな手がかりも感じ取っている。短絡的な答えを強引に求めて「なんにもわからない!」とパニックにならず、そこに居続けること。興味と関心を持って「なんだろこれ?」と探求すること。この積み重ねは、他人が代わってやってくれるようなものでもなければ、Appストアからダウンロードしてインストールできるような能力でもありません。自ら耕して養うものです。

 
 そして、「触れられることで身体になにがおきているのか」は、施術者だけが感じていればいいというものではありません。実は、施術される側こそ、これを感じとり視覚化したり言語化したりする必要があるのです。

 それが身体の主導権を自ら握ることの第一歩。身体の賢さに従ってみるようになると「さっきまでの身体」と「今の身体」のどちらのほうが生きやすいのかが判るようになります。難しいことではありません。さっきまで詰まっていた股関節の前側がふんわりと伸びてきたとか、頭の位値が変わったら腰も楽になってきたとか、小さいけれど確実な感覚を認識すると、身体の変化を実感できます。
 
 「分かる」「解る」ではなく「判る」の字を当てているのは、「はっきりしなかったものを明確に区別して認識できるようになること」だからです。曖昧だったもの、なかったこととして無視していたものが判然(はっきり)として初めて、わたしたちはようやく身体の現在地に気がつけます。
 
 
 おもしろいことに、施術者が、触れている箇所に意識を集中させるほどに、触られるほうは居心地が悪くなります。施術者が視界を広くとると、タッチも安定して触れられるほうは安心感を覚えます。強い集中はまるで目ヂカラをこめた凝視みたいなもので、居心地が悪く落ち着かない気持になるのですね。施術者が触れている対象への局所的な集中をやめ、目をやわらかくして自分の後頭部や頭頂部を感じるような一歩退いた姿勢をとると、掌や指先はふんわりゆるみ、結果、触れている面積が広がって感知できる情報が増えます。こういうタッチで触られるほうが、身体がまともに機能し始めるのが早く、施術する側も受ける側も体に被る負担が少なくて済みます。

 身体はわたしたちがアタマで考えているよりも賢く、しかもその賢さが、わざわざ脳で思考を巡らさなくても発揮されるのが素晴らしい点です。身体の賢さをひきだすようなセッションを高い精度で提供できるようになれば、おそらく更に興味深い体験をわたしもクライアントもできるはず。アタマで考えることに惑わされず、身体の優位性を認めてそれに付いていってみることに意識的にとりくんでみたいと感じたセミナーでした。

2019年1月11日、18日には平田さんによる骨のワークのセミナーが開催予定です。そちらについてのFacebookでの告知投稿がみつけられなかったので、前回の告知記事のリンクを貼っておきます。「もう強い圧でのワークはしたくない」と思っているボディワーカーの皆様、平田さんにコンタクトをとってみてください。