ココロとカラダ

「どうせ無理」と諦めたことはありますか?

認定ロルファー™の利香です。
 発達支援コーチングを受けた翌日、生まれて初めてブリッジができるようになりました。突如として「こうしたらいいかも」が直感的にわかるようになり、やろうとしている動作をちゃんと体が実現してくれるようになったことに驚きます。
 それと同時に気づいたことがあります。「運動音痴だから仕方がない」「運動が苦手でもまぁいいや」と人生の早い段階で諦めて折り合いをつけてきたつもりだったけれど、やっぱり残念で不満だったのだということです。
 
 当たり前ですが、人は「自分の身体」しか生きていないので、仮にそれがちょっと平均値からはズレている状態だったとしても、「みんなこんなもんだろう」と思い込んでいます。
 比べる対象が出て初めて「どうやらこれはおかしいらしい」と気がついたり、「どうやったらあんな風になれるんだろう」と考え出したりします。小学生の頃に発達支援コーチングに出会えていたらよかったな…と思いました。
 「どうやったらあんな風にできるんだろう」と考えても、練習しても、できる友だちに教えてもらっても、いつまでもできなかった逆上がりやなわとび。球が自分に向かって飛んでくるというだけで頭が真っ白になる球技。体育の授業は水泳以外、苦痛しか感じませんでした。

 どうせわたしには無理。だって運動音痴だから。

 そう思うことでしか楽になれませんでしたが、他の手段があったんじゃないの!とあまりにあっけなくて笑ってしまいます。
 

 「どうせ無理。」そう思うことは可能性を自分で潰しているようなものです。これについては、植松努さんの著書を読んでいただけたらと思います。

 動画もお勧めです。20分ありますがあっという間です。

 植松さんの言う通り、「どうせ無理という言葉は、自信と可能性を奪う恐ろしい言葉です」。

 わたしの運動音痴のように苦手なこと、どうにもならない・諦めるよりないと思って受け入れている困難は、他人には気付かれにくく伝わりにくいものです。それをなんとかしようとあがくより、「どうせ無理」と唱えてしまえば何もしなくて済むので楽になれます。

 でも、諦めるのはいつでもできます。その前にとにかくいろんなことを試してみて欲しいんです。困難を抱えていること・抱えている困難の種類や程度に引け目を感じないでください。こんなことに困っていると周囲の人に話していると、「もしかしたらこれが役に立つかもしれないよ?」と思わぬところから情報をもらえます。また、わたしがロルフィング®や発達コーチングを見つけた時のように、何かがパチッと繋がることもあります。
 諦めて何もしていなかったら、わたしはまだ杖をつきながら、体を動かすことへの苦手意識にがんじからめにされたままだったことでしょう。したことも、しなかったことも、すべては自分に還ってきます。