わたしのこと

いじめられているあなたへ。

 東京を西から東へズドンとまっすぐ貫く路線がある。JR中央線。これがわたしが普段使う路線だ。東京駅が東の終点で、西は高尾や青梅、のりつげば松本までゆける。郊外と都心を結ぶ通勤・通学の電車で、ひどいラッシュと人身事故で有名だ。どんな人身事故でも心は痛むが、中高生が飛び込んだと知ると更に胸が苦しくなる。特に新学期が始まるシーズン、受験シーズンには数が増える印象があって、あたら若い命を自ら絶つまで追い込まれてしまった子どもの心を思うと、ため息しか出てこない。

 小学5年のとき、わたしに対するいじめが始まった。きっかけは中学受験とオズグット・シュラッター症候群。膝を傷めてサッカーチームをやめたわたしを、かつてのチームメイト達は執拗に攻撃した。中学受験するということが発覚してから、更にいじめはヒートアップした。

 わたし自身、特に熱心に勉強していたわけではなかったこともあって、受験した志望校には受からずそのまま地元の公立中学校に進んだ。つまり、いじめもそのまま継続されることに。針の筵(むしろ)ってこういうことなんだなと実感するほどえげつなかった。つらかったので当時の記憶はあまりない。毎日死にたいと思っていた。

 

 中学2年生の6月のある日、「今日 死のう。」と決めた。

 

 死ぬことを覚悟したわたしの眼に、校舎の窓からみる鬱蒼とした6月の雑木林はハッとするほど美しかった。遠くでカッコーが鳴いていた。初夏の風に震える木の葉の1枚1枚が光り輝いて鮮明に見え、命があるということはこういうことだと知った。

 こんなに自然が美しいのなら、もう少しだけ生きてみよう。そう思って死ぬのをやめて、普通に歩いて下校し、そのまま47歳の今まで生きている。

 

 もちろんその後もいじめは続いたのだけれど、中学3年になって偏差値や内申点という言葉が教室で幅を効かせるようになると、下火になった。偏差値70以上の進学校にゆく者、内申点をかせいでそこそこのレベルの都立へゆく者、どちらでもなく模試の結果に右往左往する者。そういう風に生徒が染め分けられてからは、みんな自分のことで必死になって、他人をいじめている場合じゃなくなったのだろう。

 わたしは同じ中学からは誰も受験しない、地元から遠く離れた私立の高校に進学。環境を変えてからは二度といじめられることはなかった。高校生活は楽しかった。誰もわたしを嘲笑したり、毛色が違うとか勉強ができるという理由でいじめたりはしなかった。大学は選択ミスだったけど、別な大学の大学院に進学してからは、わたしがのびのびふるまっても、ちょっとばかり傲慢にふるまっても、それを許容してくれる世界が待っていた。

 今、いじめに遭ってしんどい思いをしている子には、「逃げろ」とだけ言いたい。どこに逃げても構わない。スマホの電源を切り、逃げて息を潜めていられる場所を持っていてくれたらとだけ願う。図書館でも公園でもファミレスでもかまわない。とにかく生き延びて違う環境へと脱出してほしい。加害者は変わらないし、残念なことに正論では勝てないことが多いからだ。

 もちろん、加害者と戦う方がせいせいするようなら戦え。言われたことは録音し、傷は撮影し、やられたことは全てノートにつけて記録に残せ。弁護士を頼れ。証拠を粛々と集めて訴訟を起こして法廷で戦え。戦うからには相手の爪1枚、髪の毛ひと筋にいたるまで引き裂くつもりでやれ。自分の心が許そうと思えるようにならないかぎり、許さなくていい。

 そう。わたしは加害者の氏名を未だ全員憶えているし、機会があれば復讐してやりたいと思っていた時期があった。それで自分の人生に汚点がついてもかまわない。あいつらが苦しむのであればそれがいちばん嬉しいと思っていた。心の闇は未だにときどき暴れる。憎悪はもはやないのに。

 いじめとはそういうものだ。いじめを受けた人間の心のあり方を大きく変えてしまう。たかが子どもの頃の1、2年とか、そういうことではない。「たかが1、2分でしょ」といいながら、あなたは熱湯を他人の手に注ぎ続けるだろうか。

 

 体育祭や文化祭、修学旅行といったイベントのある秋も、いじめられている子には憂鬱な季節だ。もしあなたが子どもと関わる仕事をしているのなら、逃げたいと思う子に逃げることを許してやってほしい。逃げ場を用意してやってほしい。説得や説教は要らない。生き延びることだけが、被害者で人生を終わらせない唯一の方法だ。

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