わたしのこと

「お母さん、覚悟してください。」

認定ロルファー™の利香です。

 お彼岸のお墓参り後、親戚との食事の席で、衝撃的な事実を知りました。

 わたしは赤子のころから絵を描くのが好きでした。幼稚園で才能を見出され、芸大の先生のもとへ小学生の頃は絵を習いに片道1時間かけてひとり通っていました。

 ある時、母はその先生からこう言われたそうです。

「お母さん、この子の描いた絵を大学の教材に使わせてください。この子は目でみたものの形をすっかり把握して、一筆で絵を描いています。そんなことができる人は滅多にいないんです。みんな「全体のバランスのなかで頭はこう、脚はこれぐらいのバランス…」と考えて絵を描くことを”習う”けど、この子は脚からでも尻尾からでも描き始めることができる。この子は絵描きになるよりないんです。覚悟してください。」

 

 絵描きになることは物心ついたころからのわたしの夢でした。
 それ以外を考えたことがなかったといっても過言ではありません。

 高校受験の志望校を決めるにあたって、女子美に進学しようと希望を提出したところ、中学校の美術の先生に今度は止められます。

「この子は女子美にいってはいけない。この子は女じゃないんです。女子美は「女の子」が絵を習いにゆくところです。そんなところに入ったら3日ともたないでしょう。この子は芸大にゆくんです。高校は普通科に行き、しかるべき先生を紹介しますから芸大に入るための勉強を学校以外で積んで、3年後に芸大を受験しましょう。」

と、ここまで書くとなんて順風満帆なのと思えますけど、敵は身内にいました(笑) 

「絵描きなんてまっとうな職業じゃない」「親戚に誰も芸術家がいないのに、こいつにそんな才能がほんとうにあるのかどうかもわからない」という、父の強固な反対もあったそうです。

 こんなことを周囲の大人から言われていたとは、今日までまったく知りませんでした。

 なんだかんだでわたしは普通科の高校に進学しました。

 そして、絵がぱったりと描けなくなりました。

 なぜかと問われてもはっきりとは憶えていません。当時の記憶があんまりないんです。家庭も険悪で、生きるのがつらくてたまらず、頭がおかしくなりそうだったということ、そしてベースが弾きたいと主張して「絵か音楽か、どっちかにしなさい!」と母に激怒され、「じゃあ、ベース」とバンドを選んだということしか記憶にありません。

 普通科の高校に進学したことを、わたしは「親や教師から”高校までは普通科に行った方が常識的でバランスのとれた人になれるから、女子美にゆかずに普通科にしておけば?”と勧められたのを「そういうもんかな?ま、3年ぐらいいいか」と自分で納得して選んだ」と記憶していました。つらすぎて記憶を書き換えたのか、言いくるめられたのか、そこは定かではありません。

 

ピカソ「母と子」画像幼い頃大好きだったパブロ・ピカソの絵

 

「そういえばわたしは絵画教室で絵の基礎的なテクニックをなにも教わっていない。どうしてだろう?」」と最近思っていたんですけど、その謎も解けました。先生は、わたしを稀有な存在として尊重して好き勝手にやらせてくれていたんだ、と。

 ものの形をいっぺんに把握することは今でも得意で、それがあるからロルフィングのボディリーディング(クライアントの体を「読む」こと)が好きなのだろうと思います。当時、先生がテクニックを教え込むことに力を注いでしまっていたら、わたしはどうなっていたのかなぁ、と思ったりもします。

 わたしのことなので、こういうエピソードを母親から聞かされても忘れ去ってしまうかもしれないなぁと思い、ここに記録として残します。

 今更芸大受験はしませんが絵は2017年から再開したので、ウキウキと心のままに描いてゆこうと思います。