わたしのこと

人間関係の新陳代謝

お世話になっている気功のクラスの先生がよくおっしゃることに、「教室の新陳代謝」というものがあります。その気功教室は紹介制をとっているので、「新規受講キャンペーン」もなければ、口コミサイトを見てきましたという飛び込み参加もありません。それでもじわじわと人数は増えていて、かつ、メンバーは緩やかに入れ替わっています。
来ていた人が来なくなったり、新しい人が入ってきたりというメンバーの入れ替わりを「新陳代謝」と先生は喩えてはるわけです。拡張だけを考えるなら、生徒が減ることは極力避けたい。でも、それは組織として健全ではない。教室も生き物。ダイナミズムは必要だからね!と笑っておっしゃっていました。

それを聞いて、私が長い間なんとなく考えていたことはこれだったのか、とハッとしました。

それは交友関係の移り変わりです。

どんなに仲が良かった友達でも、いつの間にか疎遠になることがあります。特にきっかけがあったわけではなく、そういえばなんとなく、いつの間にか連絡を取らなくなってしまう。そんな相手を思い出して再度連絡をとってみても、そこからまた以前のような親交が復活するのは少なくて…ショックなうさぎ それが可能なのは、現在進行形でその人と興味や感動を共有できる場合だけのようです。会っても同じ昔の思い出話しか繰り返さない人とは、そんなに頻繁に会いたいとは思えませんよねぇ。

私にも高校時代からの旧友や、親友と呼べる友達はいます。私がその人たちとのつきあいを大切にしたいのは、長い間にわたり親しい友人でいつづけられるのは実人生のなかでは困難だからです。
人にはライフステージがあります。学生、社会人、結婚、出産、子育て等々、自分をとりまく環境は変わり、その都度出会う新しい人たちがいます。その時に共に喜び、悲しみ、楽しみ、笑いあったり励ましあえる人は特別な存在です。そういう特別な存在も、互いの環境や興味の対象が変わると共に変わってゆくのは当然です。

そう理解していても、「疎遠になる」というのはやはりネガティブなことのように感じていました。罪悪感というか…私は薄情なのかもしれないとか、長く付き合える友達が少ないのは何かが欠けているのだろうかとか。変わらないことだけを美徳とする価値観に、とらわれていたんでしょう。

「人間関係にも新陳代謝は必要」と、思い切ったことを口に出すことで、これもまた、自分が成長したり変化したりしている一つの証だと感じられるようになります。
新しい場所へ出てゆき、新しい人と出会い、自分が変わってゆくこと。それにひけ目を感じる必要はどこにもありません。人として当然のダイナミズム。それを自分にゆるし、受け入れ、常に新しい交友関係をてらいなく求められる状態でいたいものです。

The woods in the park near to my place. Tokyo, Japan. Nov. 13, 2016

 

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