立ったまま母の腰痛ケアをする
「起きるときに腰を痛くしちゃったのよ」と、昨年喜寿を迎えた母が言うので、台所で立ったまま腰方形筋のリリースをしてから「なんか腰だるいわ〜って時はこうするとええで。」とセルフケアを伝えました。
母は「あら。楽になった」とキョトンとしていました。
当たり前よ、お母ちゃん…
認定ロルファーを舐めてもらっちゃ困りますよ…!
母は「肩こりなんて知らない。腰痛?気合いで治る!」という昭和根性論が大好きなので、私のセッションも受けたことがありません。なんで己を罰するかのように、体を酷使することこそ美徳と思っているんだろう?と母を見ているとよく感じます。
根性論のかんちがい
母曰く、
・体は使わないとなまる
・痛いからといってじっとしていたら動けなくなる
うん。確かにこのふたつは事実ではあるけれど、結論がいきなり「だから痛くてもしょうがない。ケアなど無駄!」になるのは飛躍しすぎです。
「体は使わないとなまる。ただし、機能的構造的に困難がある場合はプロの見解と指導を求めろ」
「痛いからといってじっとしていたら動けなくなる。ただし、発熱、嘔吐を伴う場合や外傷、関節の変形、炎症がある場合はプロの見解とケアを求めろ」
と、本来なら但し書きがつくものです。
この但し書き部分を根性論はすっ飛ばしてしまうんですよね。
なんでこんなことが起こるのかと言うと、
・病院不信(いったところで湿布しか処方されない等)
・周囲への不信(痛くたって誰にもこの仕事は任せられない)
・厳しい規律(こんなことで休むなんて認められない)
などが原因でしょう。こういった強い思い込みから「痛くてもしょうがない」という結論に達し、過激な根性論に陥っているようにみえます。
身体の感受性、鈍っていませんか
他人に仕事を任せて楽してもいいし、しんどいなら休むのも大事です。
痛みと違和感は我慢するほどに身体の感受性が鈍り、異常を感知するセンサーが正常に働かなくなってしまいます。
我慢がいいうえに感覚が衰えてしまうと、いよいよになるまで医療機関にもゆかず適切なケアが遅れる事態が起こります。これは高齢者だけではなく、働き盛りの40代、50代でもよくあることです。
外反母趾やタコ、ガチガチな首コリ、鎮痛剤が必要なほどの膝や腰の痛みなどは「普通」ではありません。みんなこんなものだろうと思っているかもしれませんが、「みんな」とか「こんなもの」を具体的には説明できませんよね。曖昧な平均値(と勝手に思い込んでいるもの)をもとに、たかをくくっているだけです。
自らの身体の管理責任は自分にあります。
仕事と同じで、現場に我慢と忍耐を強いるだけのやり方ではいずれ破綻がきます。自分の身体にとっていい上司になる気持ちで、ケアも重視してください。
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