認定ロルファーの利香です。
昨晩は満月でした。
満月は物事が満ち、収穫するタイミングに当たりますが、同時に、これからまた欠けてゆく次のサイクルの始まりにもあたります。次のサイクルでなにを成し遂げるかを考え、手放すものを決める時でもあるそうです。
つい、得るもの・収穫できるものにフォーカスしがちなのは、やっぱり奪われるのがいやだから。
数年前からみかけるようになった、妙なコマーシャル・フィルム。
素人の苦労話を取材したドキュメンタリー番組で「いい話だなぁ」となってきたところで、青汁やサプリメントの宣伝だとわかるというアレです。
宣伝だと気がつかずに見ていて、宣伝だと気がついた時の腹立たしさというか肩透かしをくらったような興ざめは、おそらく、「感動を与えてもらっていると思っていたのに物を売りつけようという魂胆だったのか!」と感じるからです。
自分の感じた感動と時間を奪われたように感じるし、そこにもってきて物を売りつける=お金を奪われるように感じるから、興ざめな気持ちになるんですよね。
テレビなら消してしまえばいいだけのことですが、これがリアルの人間関係となると面倒なことになります。
奪う人というのは往々にして無自覚です。
よくあるのが慢性的に愚痴をこぼす人。
すべての会話が愚痴っぽい調子の人もいれば、人の顔さえみれば仕事や同僚、パートナー、同居する親の悪口や愚痴を延々こぼす人もいます。
普段そういうことを話さない人がたまに愚痴をいうなら「あら。よほど大変なんだなぁ」と心配もすればなにか役に立てないかと感じたりもします。
が、いつもとなると聴くほうは消耗します。
なにかを勧めてみても「でも」「だって」「やっぱり」を繰り返すばかりで、本気で問題解決に着手する気がない。改善する気がないのに愚痴だけは詳しく聴いてほしいという人につきあうのは、聴くほうは気力体力時間ともに奪われて、ほとほと疲れてしまうものです。
テレビを消すようにその人を消すわけにはゆかないので、「あ〜この先もこれが続くんだよな…」という予想がまた疲労感を倍増させます。
愚痴はきかされるとダメージが大きいので奪うことの例としてわかりやすいのですが、これが「送料無料」とか「ファストファッション」とかだったらどうでしょう?
送料無料と書いてあるけど、それは「運送会社に払う代金を店が負担する」ということで、その分が売り上げから差し引かれることになります。
ファストファッションで売られているものが安いのは、ベトナムやバングラなどの人たちを安い賃金で使い倒しているからです。
誰かから奪っている結果、自分が得している(ような気持ちになっている)だけなんですよね。
奪われることにばかり敏感になってしまいがちですが
自分が奪っているかも?奪って得る満足でいいのか?ということにも敏感でありたいものです。
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