日々のこと

濫用注意。「ときめく方を選ぶ」では現実は変わらない

認定ロルファー™の利香です。

 最近、ロルフィング®のクライアントさんがアクセスバーズ®も受けてくださることが増えました。身体が変わってくると意識が変わるからかもしれません。お話をうかがってみると、「今のままではいたくない。でも、あれこれ考えて決断できない」という悩みを感じている方が多いようです。

 人生は決断の連続です。今こうしている時にも頭はくるくると動いて決断している。コーヒー淹れよう、その前に資源ごみ出しにゆかなくちゃ、そういえば洗剤切れていなかったっけ?いつ買い物にゆこう…といったように絶え間なく日常の些事についての思考と決断が働き、その積み重ねで日々はできています。
 
 最近の軽々しいスピブームのせいか、決断の場面において「直感にしたがう」「ときめく方を選ぶ」を濫用しがちですけど、ちょっと待てよと思うわけです。バッグとか服とか、身に付けるものや身の回りにおくもの以外に関わる決断は、「あえて違和感がある方を選ぶ」のも大きな転機を呼びます。「こっちを選んだらどうなるんだろう」「うまくできるかな」という不安や恐れ、「絶対にいつもならこっちは選ばないよね…でも気になるんだよな…」という釈然としない感覚などがある選択ほど、大きな1ステップになります。

 それはなぜか。ひとことで言うと、知覚外のモノ・コト・人がブレイクスルーのきっかけをもたらすからです。
 世界は自分が認識・知覚できるものだけで構成されています。知らないものは見えないし存在しない。自分や家族が障害を持って初めて駅やトイレの手すり、エレベーター、点字ブロック等の存在に気がつくものです。それと同じように、わたしたちはあらゆることをほとんど知らない、見ないままに生きています。
 「こわい」と感じる選択はそれが未知のものだからです。それを選んで初めて自分の世界の殻がぱりんと割れて、そこから新しい景色が見えたり、新たな空気が流れ込んできます。そういう選択をしなければ、いつまでも代わり映えのない日々を似たようなメンツに囲まれて過ごすだけです。
 
 
 殻を割りたいのならリスクをとる。リスクだと思っているそれも、後になってみればリスクでもなんでもなかったりします。たとえ「こっちじゃなかったなー!」という選択をしたとしても、やらなければ「ソレジャナイ」にも気づけなかったわけですから、やっただけの意味はあります。大ゴケしてもいいのです。人通りの多い道路で派手に転んでも、痛くて恥ずかしいのは自分だけです。たいていの人の記憶には残りません。
 たいていの決断できないとか行動できないといった悩みは、誰も見ていない小さな部屋に閉じこもって頭の中でシミュレーションしては、ひとりで恥ずかしがったり悩んだり怖がったりしているようなものです。まずは覚悟を決め、ドアを開けて外へ一歩出る。そこからすべては始まります。