日々のこと

今、とても興味があること。それは皮膚。

認定ロルファー™の利香です。
ただいまわたしの中でアツいテーマは皮膚。皮膚ってなんだろう?とふと考え始めたらいろいろなことが気になって堪らなくなりました。

皮膚を、自分とそうじゃないものを分けている壁みたいなものと考えると、保護するための膜だったり、体外にある危険を察知するセンサーだったり、自分というものを明確に感じる輪郭線だったりしますよね。ただ防護するためのものだったら亀の甲羅やワニの背中みたいにガッツリとごつくなってもよさそうなのに、人の皮膚は非常に柔らかくて薄い。実に頼りない防護壁。
そしてこの柔らかな防護壁は、脳みそより速く、とても賢い反応をします。

特に興味深いのは、皮膚が感じとったもので皮膚の内側=身体の組織が変わること。痛みとか冷たさとかの大きな刺激はもちろん、かすかな刺激でも組織は変わるし感情も影響を受けます。

たとえばわたしはポリウレタンに対するアレルギーがあって、ポリエチレンがたくさん含まれている糸で縫われている衣類を素肌に着ると、痛くて不快になってしまいます。肌はかぶれ、少しのかゆみと不快な鋭い痛みとにイライラし、「だあああああ!」とか叫びながら脱ぎ捨てる羽目になります。こういう時は明らかに体が「わたし」と「わたしじゃないもの」とを区別し、拒絶しています。そのきっかけを作るのが皮膚の感覚です。

皮膚に触れるワークを受けている時に、相手の手が汗ばんでひんやりしていると不快ですよね。「うへぇ…」となって、ひんやり汗ばんだ手から皮膚を離したくなる。これも「わたしじゃないもの」を区別して拒絶するモード。
でも、相手の手が温かく適度に乾燥していると、それだで「快」を感じて皮膚が相手の手を受け入れる状態になり、その下の組織も「入ってきていいよ〜」と歓迎モードになります。

 
歓迎とまではゆかなくても、皮膚とその直下の組織が安心した状態になっていると、いい意味でそこに意識がゆきます。「不快なものから逃れよう」と思っている時とは明らかに違う意識がそこに届くと、自動制御モードが発動して緊張が解けたり、お留守だったのが生き返ったりします。

アタマで考えるよりも早くにその変化が始まるのがおもしろい。

皮膚を考えるとき、神経とそれを養っている血管のことも無視するわけにはゆきません。…というわけでどんどん調べ物が広がって、果てしない気持ちになるのですが、それも皮膚で隔てられた自分の中で起きている出来事。自分というcontainerを考える、やや哲学的なところと科学の間を綱渡りしながらいったりきたり。

そして、わたしごときが疑問に思うようなことは、とっくに賢い研究者が調べて発表してくれているのです。そういう文献にあたりながら、うなずいたり驚いたり理解できなくて頭を抱えたりするのが、目下、とても楽しいのでした。