認定ロルファー™の利香です。
最近、毎週のように新しい人たちと会う機会に恵まれていて、自称:ぼっちの私がいつの間にかいなくなったかのようです。
新たに知り合う方々は得意な分野はそれぞれ異なるけれど共通することがひとつ。
それは「明日は今日より本質に近づこう」という
向日性というか、純粋な気持で輝いていること。
皆さんがこんな言葉にしてご自身を捉えているわけではないと思いますが、私はそう感じるのです。
なんというか…
そこに希望がある。
そして、身軽で自由で寛容です。
友達は自分の鏡だとよく言われるのは、つきあっていて違和感しかない相手とは自然と疎遠になるし、意気投合する相手とは価値観や興味の対象が似ているからなのでしょうね。
価値観に共鳴できるかどうかは重要です。
いくら肩書きが立派でも、いくら経験豊富な先輩格にあたる人でも
大事にしたいことが全然違ったら、「ふーん」でおしまいですもんね。
最近知り合った方々と、昨日、調布の布田神社から深大寺まで散策しておりましたが
物質的な豊かさにこだわらないこと、本質をみること、
モノや”正しさ”にこだわらないことの大切さの話になりました。
私の親の世代は戦中生まれで、戦後のモノのない時代を経験しているせいか、物質的な豊かさを非常に重視する傾向があります。
教育熱心なのは、いい学校を卒業していい企業に就職すれば一生安泰だという世界観を持っているからでしょうね。
だけどその結果、何が残っただろう?
「これさえ買えば幸せになれる」「こういう風にしておけば間違いがない」
「幸せであるためには月収はいくらぐらいで、これぐらいの価格の家に住んで」といった「幸せ」のモデルに振り回されて残業しまくったり、子どもやパートナーの顔をまじまじと見ることさえない生活を送ったり
挙げ句の果てに「何が欲しいのか」すらわからなくなり
「何を欲しがればいいのか」をメディアに決めてもらう有様。
自分の本心を押し殺したり無視したりする生活の過酷さに
目を向けてみてもいいんじゃないでしょうか。
これだけは譲れない!と思っていたモノはほんとうにそうなのか。
そう思い込んでいるだけではないのか。
誰かに教え込まれたことではないのか。
もしかしたらこれも、あれも、自分には不要なモノなんじゃないか。
そう気がついて執着・こだわりを手放すと、怒ったり焦ったりする必要がなくなります。自分にも他人にも寛容になるし、本当に大事にしたいことだけに集中できます。
自分は意外なほどに空っぽで
自分が持っている能力と時間は有限だと気がつくと
空っぽの心地よさ、軽やかさを感じられます。
もしこれを読んでくれているあなたが
「あれもこれも私がやらなくちゃいけない」とか
「人からの評価は常に標準以上でキープしなくちゃいけない」
という考え方で生きているようでしたら、いちど自問してみてください。
「それって本当?誰が決めたの?」
自分の素の姿に向き合わないまま生きてゆくのだとしたら
人生って、あなたにとってどんなものになるのでしょう。
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