認定ロルファー™の利香です。
「誰に対しても態度が同じ」とよく言われますが、わたしは相手に応じて態度を変えることが嫌いとか道義的に許せないわけでは決してありません。
相手の状況をみて、互いに不快感を抱かずいちばん話がスムーズに運びそうだなと
感じられる態度や言葉遣いは、最低限、選んでいます。
本人の感覚としてはただ単に人として接しているだけです。
それと、わたしは滅多に緊張しないので、動じない風に見られている可能性はあります。
そういうわたしでも、「こわい人」はいます。
この「こわい」は恐怖ではなく、畏れの念を抱くという意味です。
昨日、久しぶりに「こわい」と感じる人に会いました。
わたしが畏敬の念を抱く相手とは、わたしがとうてい太刀打ちできないほどの
知識と経験を積んでいて、かつ、それがただ単に書物等で得た情報の寄せ集めではなく(ただの博識ならゴロゴロいます)、独自の偏執狂的な興味と着眼点のみで構築された独特な知の体系をがっつりもっている人です。
そういう人は、たいてい、相対して会話をしていても、常人とはまったく異なるレベルの世界をいつも遠くに見ています。だから目が怖い。
世界の認識が三次元ではないという印象です。
例えて言うなら、言語も尺度も思考の順路も、感情の妥当性もなにもかもが異なる
未知の生命体のようなこわさです。
そういう人は、仲間内からよく「変態」とか「宇宙人」とか呼ばれていたり、なんらかの専門分野でのプロフェッショナルとして一目置かれていたりします。
その人だけが見ている世界がわたしの認識をはるかに超えたところに確かに在るのだ、ということが、畏れの気持ちをかきたてるのかもしれません。