アフームの利香です。
過日参加したイベントで、参加者の人が話してくれたことが
私には「ああ、そういうことか!」という大きな気づきとなりました。
承認欲求の話をしていて、その人はこう話してくれました。
「人から嫌われたら”えー?どうして?私のどこが嫌いなの?”ってすごく知りたかったし、知ってそこを改めたら好きになってもらえるかなと思っていた。
だけど、それって相手の好き嫌いをコントロールしようとしていたんだなと気がついた。嫌いに理由はないのよ。嫌いだから嫌いなんだもん」
私も何人かの人から裏で激しく嫌われ陰口を叩かれるという経験をしています。
その度に「嫌いなら面と向かって「あんたのことは嫌い。つきあいたくない」と言ってくれればいいのになぁ。なにに腹を立てたのか、私に教えてくれればいいのに、どうして表ではニコニコ親切そうにつきあったうえで陰にまわって悪口をいうんだろう?」と思っていました。
それまでずっと心の底から仲良くしていたのに
ささいな感情のゆきちがいでギクシャクした、というレベルなら
「私がなにかしたのかしら?何に腹を立てているのか教えてくれる?」
と、訊くのもいいかもしれません。
相手が友情の維持に意味を感じてくれるなら、教えてくれるでしょう。
が、相手がそもそも「なんか合わない」というレベルでこちらを避けたがっている場合、そんなことをしたところでどうしようもありません。
そして、相手としても「なんか合わない」程度の理由で
人とのつきあいを断ってはいけないと思うからフラストレーションをためてしまい、
フラストレーションの源であるこちらの悪口を言うよりなくなるのでしょう。
嫌いな理由をはっきり言われても当惑するよりないこともあります。
大阪に越した当初は面と向かって「標準語むかつくな!」とか
「なんや、東京の人かぁ?」とか言われて敵意むき出しにされることもありました。
いやいやいや。それ言われても困るし。
結局、嫌う理由を知ったところでどうしようもない。
それを「私がここを改めたら好かれるんじゃないか」と考えるのは
相手をコントロールしたがっているということだったんだと納得しました。
さしたる理由もなく嫌われるのは不安だし怖いですから、
自分が努力すれば状況をコントロールできると思いたかったのかもしれません。
そういうことに気づいて、過去のディスられ体験のいくつかが
成仏してくれました(笑)
最近、思わぬところで初対面の人からこういう気づきをもらえることが重なっています。これが中島らものいう「その日の神様」なのかもしれません。
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