日々のこと

良心の空振り

私の両親は幸いふたりともまだまだ元気でアクティブな人たちですが、昨年10月ごろから母は体調を崩し、現在も毎日たいへんそうにしています。
話をきくと、どうも最初にかかった医院で処方された抗生物質で大きく体内細菌叢のバランスをくずしたようです。その後、くりかえす口内炎に手を焼いておとずれた耳鼻科でヘルペス治療薬を処方され、それがとどめになったようで、口内炎と歯肉炎とに悩まされています。

舌にも上顎にも歯茎にもところきらわず出る口内炎で、食事のたびごとにたいへんつらそうにしています。実際、普通食が食べられなくて痩せてきてしまったので、ネスレの栄養補助食品を購入して食べてもらっています。甘みも酸味も塩気もダメときているので、その栄養補助食品も食べられる味のバリエーションがなくて、気の毒です。

で、その母をみてしみじみ思うのは、私もかつて原因不明の口内炎に数年間苦しめられたときのことです。かれこれ20年ほど前のことですが、いつも7つほどの口内炎ができており、朝はまず、血膿ではりついた唇を枕カバーからゆっくりひきはがすところから始まります。当然食事は拷問のようでした。当時は結婚前で親と同居しており、台所の覇権は母にあり、いくら口が痛くても別メニューは認めないという謎ルールが支配していました。普通にエビフライとか出てきました(苦笑)
母から「あんたに合わせていたら食べるもんないわよ」と言われたときのショックを、鮮明に記憶しています。

口内炎オンパレードの暮らしがどれほどQOLを下げて難儀であるか。この苦痛を当時の母が知っていたら、あの一言はなかったかもしれません。

この体験は、それほどまでに他人の痛みを感じ取るのは難しいことなんだということを教えてくれました。痛みは当事者以外はせいぜい自分の経験から推量して想像するぐらいしかできません。実際、いま、痛みに顔をしかめる母の隣で、口内炎は滅多につくらない父がくりだす見当違いなことばの数々にはヒヤヒヤさせられます。
神経逆撫でレベルだわと思ったら、さすがにたしなめますけど、言った当人はキョトンとしてます。当人は悪気がなくて、母に対するいたわりと同情を表明してみたつもりなのですが、その方向性がかなり間違っているのと配慮のレベルが浅いために、結果として大きく空振り。敢えて言うなら”無神経な”発言になるのです。

 

「相手の身になって考える」と、私たちは普段よく言いますが、それをほんとうにやれているか、あやしいものです。想像には限界があるし、当事者でなければ感じ得ない複雑な気持もあります。「悪気がない」「言った人は同情や共感、励ましのつもり」の言葉であるとわかっていると、言われた側は反発を表しにくいものですが、やはり当事者とそうでない者との間には、大きなギャップが存在します。


こちらのツイートは、がんを経験なさった方が書かれたものです。引用部には画像の全てが表示されていませんが、リンクをクリックしてみると4コマ漫画仕立てでいくつかのケースが紹介されています。いずれも「こういう風に言ってみてはどうでしょう」という提案つきで、たいへん建設的な内容です。

「もし私だったらどうだろう」という想像から、相手の身になって考えて行動することは始まります。その時に、「でも、あの人は私ではない(からホントのことは想像しきれない)」「でも、私は同じ体験をしたわけじゃない(から実際どれだけしんどいかは骨身にしみてない)」ということを常に心にとめてことばを選んでみるようにすれば、もう少し、良心の空振りによる惨事は防げるのではないでしょうか。

これは、もちろん、ボディワーカーとして人の体に触れる仕事をしている私自身への戒めでもあります。わかったつもりになること、自分は配慮できていると慢心すること、これが適切な表現だよね!と勝手に決めること。これらの落とし穴にはまらないように、常に相手をよくみて、主体を相手にした思考を心がけてゆきたいものです。