日々のこと

“比較と競争の罠”

認定ロルファー™の利香です。

カウンセラーの根本裕幸さんのワークショップに参加してきました。
「比較と競争の罠を手放して、自由な自分になる」というのがテーマ。
そのワークショップの所感を書いてみたいと思います。

 

始まりは傷つかないやり方

私たちが成長過程で親や身近な大人から叩き込まれてゆく様々なルールは、
ほとんどがその人たちが「世界をどう見ているか」「その世界で傷つかないで生きるにはどうしたらよいと考えているか」に基づいています。

「高校ぐらい出ていなくちゃ恥ずかしい」とか「一流企業に就職するのがいちばん」とかですね。こういう思い込みを人は正当化します。「だって低学歴ってバカにされたら傷つくやん」「一流企業に就職できなかったら生活の保証がない。三流企業に就職してそこが倒産でもして路頭に迷ったらプライドもなにもかも傷つくし!」。

特に親の場合は、よかれと思うところからこういう正当化が始まっているのでやっかいです。過剰な期待を一方的に背負わせたり、きょうだいやいとこ、同級生と比較したりして、「なんでお前はできないのか」「これぐらいできて当然」という評価をおしつけてきます。

 

失敗を許さない社会

特に日本社会では、失敗=悪と捉える価値観が異常に強いと根本さんは言います。
競争で負けることは人としてダメ、もう人生終わり、みたいな考え方のことです。

挑戦した勇気や、結果は失敗だったかもしれないけれどその経験を積んだということを、評価しない社会なんですね。だからベンチャー企業が育ちにくい。

セカンドチャンスを認めないので、浪人・留年・中退・引きこもり・不登校・休学・休職といったことがおこると「も〜だめだ。人生詰んだわ。。。」と自分も周囲も考えがちです。

絶えず他人と比較し・比較されるなかで、自分を保つための競争を繰り返して生きると、ちょっとの批判にも耐えられず攻撃的になったり、自分だけの正しさに固執したり、嫉妬から足の引っ張り合いをしたりする大人になります。
反対に、攻撃が自分に向かって自己否定、自己嫌悪、劣等感に苛まれ、常に自信がない状態で卑屈になる場合もあります。
どちらもかなしいことですね・・・

 

比較と競争の罠にハマらないために

「どうして負けたらダメなんですか?」「どうしてこの考え方もありだな、と認めたらダメなんですか?」ということを問いかけて、勝ち負けについての”信念”をゆさゆさと揺さぶってゆくのがカウンセラーやコーチの手法の一つです。

同様に、私たちも、自分に「どうして?」「なんで?」と問いかけて「別に負けても構わない」と気がつくこともできます。
子どもの頃に客観的な絶対評価だと思い込んでいたものは、実は、親や周囲の大人の主観的な評価に過ぎなかったと気がつくこともあるでしょう。

が、最も確実なのは、頑丈な自分軸ができあがっていることです。

自分と他人の区別が明確についていると、他人の成功=自分が劣っていること、にはなりません。他人の優位を認め、自分のその点においての負けを認めても、自分の価値は目減りしないということが腑に落ちるようになります。

負けを認めるためには成熟性が必要、と根本さんは言っています。
子供ほどゲームの勝敗にこだわり、形勢が不利になると怒ったり泣いたり、ゲームボードをひっくりかえしたりしますよね。

成熟する、つまり大人になる過程において、人は思春期をとおります。
この思春期がまた大変な時期で、他人との比較と競争で自分をはかるという自意識過剰な時期です。完璧でなければ愛されないという思い込みが強くなるのもここ。
ここでの挫折体験、失敗体験(授業でへんなこといって笑われたとかも含む)が、
その後の自己肯定感に大きく作用しうるんですね。

 

自分軸を確立するには、自己肯定感が必須です。
成長過程のどこかでこじれてしまっている場合には、ひとまずこじれたきっかけを認識するところから始まります。認識し、受け入れ、ジャッジしない。
そして改めて自分はどうしたいのか、どうしたかったのかを問い直すこと。
友達にむきあうように自分にたいしても真摯に、丁寧にむきあうこと。
「私なんか」をこじらせてしまったときには、そこから再生が始まるのだと思います。

 

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